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公共劇場を考える イギリスの地域劇場 ウエストヨークシャー・プレイハウス その2

 
2013-1-24
公共劇場を考える
イギリスの地域劇場 ウエストヨークシャー・プレイハウス その2

NPO法人世界劇場会議名古屋 理事長 下斗米 隆


 さて、前回からかなり時間が経ってしまいましたが、改めてイギリスの地域劇場、特にウエストヨークシャー・プレイハウスで私が見聞きし、感じたことの続きを書いてみたいと思います。
 前回はこの劇場のいわば表面をさっとなぞっただけの説明だったので、読んだ人にとって一体何がすごいのか、どこがどう違うのか、良くわからないもどかしさがあったと思うのですが、実は私自身もどう説明したら、実際にリーズ市で感じたことをきちんと伝えられるのか、戸惑っているというのが正直なところなのです。というのは、この劇場、ウエストヨークシャー・プレイハウスのすごいところは、外見的にも、建物の中に入ってみても、働いている人たちに会って話していても、変な言い方ですが「まったくすごく無い」というところなのです。つまり実に自然体、開放的、日常的な存在なのだということなのです。
実際に現地に行く前に、いろいろこの劇場の話しは聞いていましたし、調べてもいました。いわく、理想の劇場の姿がここにはあるとか、数多くの優れたコミュニティープログラムを行っている社会に開かれた劇場であるとか、それでいて一方で高い水準の作品を作り、発信しているとか・・・・。こうしたことから受けていたこの劇場のイメージというのは、非常に整った、きちっとした例えば外国映画などで目にするような近代的で、機能的で、隙のない、ちょっと冷たいクールな感じの劇場なのかと、勝手に思っていたわけなのですが、これがまるっきり違っていました。非常に人間くさい、暖かい、どこにでもある、ふらっと入れるそんな建物なのでした。
 わずか三日間見聞きしただけですから、偉そうなことは言えませんが、しかしそれでもこの間に受けた印象はある意味とても衝撃的でした。昨年(2012年)の2月10日(金)・11日(土)の二日間開かれた世界劇場会議国際フォーラム2012で、私たちは「日本に公共劇場はあるか?」というテーマで議論を行いました。そして二日間の議論を経て「日本にはいまだに公共劇場は無い」という結論に至ったわけですが、では一体「公共劇場とはどんなものなのか?」ということになると、非常に漠然としかわかっていないというのが正直なところなのだと思います。言葉の上では何となくわかっているつもりでも、具体的にはさっぱりで、「どんな存在?」、「どんな役割?」と逆に大きな「?」を抱えることになりました。フォーラムの後、様々な機会の中で、これに対する答えを探してきていたわけですが、ある意味「理念」で理解をしていて、「実態」というか「形」がまったく見えてきていなかった様に思えてなりません。つまり言葉では「社会に開かれた」とか、「地域と結びついた」ということは理解しているつもりでも、ではそれが実際にはどういうことなのかというのは、わかっていなかったということなのだと思います(私だけなのかもしれませんが)。それが、このリーズ市に来てウエストヨークシャー・プレイハウスを見て、中に入った時、体中にそれを感じました。文字通りここにそれはあった。いきいきと存在していました。

 このウエストヨークシャー・プレイハウスを訪れたのは、昨年の10月はじめの寒い朝でした。リーズ市駅前のホテルから歩いて15分くらい、街の中心からちょっと外れたところなのですが、建物は、別にどうということもない、ごく普通のビルで、上にウエストヨークシャー・プレイハウスの看板が掛かっていなかったら、ここが劇場なのか誰も気がつかないような建物です。入口もそう、ごく普通の回転ドアで、その前に開催予定のポスターが何枚か張られた掲示板と日本でいう幟の様なものが立っているので、それらしい雰囲気がするだけ、でも、ここからは人がひっきりなしに出たり入ったり、朝の10時少し前だというのにちょっとしたラッシュアワーのような人の出入りです。何かあるのかなこんな朝の時間からと思いながら入ると、もう人がワイワイとうるさいくらいでした。
 前回も書きましたが今日は水曜日、いつもはお年寄りが300〜400人ほども毎回集まって来るこの劇場の代表的なコミュニティープログラム「ヘイディズ」の日なのだそうですが、たまたま今日はロビーというかカフェを民間会社のイベントに貸出をしているとのこと。その関係者がいっぱいなのですが、「ヘイディズ」の時は“もっとすごいわよ”とのことでした。英国ではごく普通のことだそうですが、ここも劇場運営の一環としてレストランやバーなども子会社ですし、ロビーなどをイベントなどに貸し出すのは当たり前のことなのだそうです。
 サムさんというディブロップメント・ディレクター(事業部長)の案内で館内を一周しながら感じたことは、館内のどこを歩いても人がいて、聞けば劇場関係者だけでなく、様々なプログラムへの参加者やもちろん観劇に来る人、それと単にお茶や昼や夕食の食事をしに来たりという人がブラブラ歩いたり、座って話しをしたり、本を読んだりで、日本で考える劇場の空間では想像もつかない賑やかな場所、空間、広場なのです。まさに建物そのものがいきいきとまるで呼吸をしている、生き物だという感じでした。これがごく普通の状態。特に大きな芝居や音楽会などの催し物などが入っていなくても、朝から夜までこういう様子なのだという説明を聞いて、本当に驚くというか、感心してしまいました。「社会に開かれた劇場」とか、「地域とともにある劇場」といったことはよく耳にすることなのですが、実際問題としてそれがどういうことなのか、ひとつピンと来ていないというもどかしさがありましたが、文字通りこの劇場の在り方がそうなのではないかという感じがします。
 
 くどくどと同じような感想を書いてきましたが、こういう状態を日常的に維持していくということは大変なパワーと、ものすごく堅い信念が必要だと感じます。劇場の関係者全員が社会に対して目を向いていることと、愛情を注いでいること、そして同じように社会も劇場に対して信頼と愛情を感じているということなのだと思います。素晴らしい関係がここにあります。

 様々なこの劇場のコミュニティープログラムの内容や基本的な考え方、歴史などは、間もなく開かれる世界劇場会議国際フォーラム2013(2月8日(金)・9日(土) 愛知芸術センター12階アートスペース)の中で、現在のウエストヨークシャー・プレイハウス経営総監督のシーナ・リグリーさんが詳しくお話になると思います。ぜひご参加ください。
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