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トークサロン「山・鉾・屋台行事」報告

 
2017-9-11
報告者:中島貴光(大同大学工学部建築学科 准教授)

去る8月18日、栄ガスビルにてITC主催のトークサロン「山・鉾・屋台行事」が開催された。講師に民俗芸能研究家の鬼頭秀明氏を迎えて、ユネスコ世界無形文化遺産に登録された「山・鉾・屋台行事」についてご講演いただいた。鬼頭氏は長年にわたって、民俗芸能の研究に携わられており、とりわけ東海地方の祭礼行事に造詣が深い。本トークサロンでは【(1)ダシと山・鉾・屋台】、【(2)「囃すもの」と「囃されるもの」】、【(3)東海地方の「山・鉾・屋台行事」】、以上の3つのテーマに即してお話いただいた。以下に、流れに沿って振り返って見たい。
 はじめにITCN副理事長・山出氏より紹介があり、鬼頭氏が登壇された。つかみとしてユネスコ世界無形文化遺産に祭礼行事33件が登録されるに至った経緯・概略について、またマスメディアの報道などにより注目が集まっている現状について語られた後、本題へと展開してゆく。
 【(1)ダシと山・鉾・屋台】では「ダシ」という呼称の由来についての解説がなされた。全国各地で見られる作り物風流における総称が「ダシ」とのことである。地域によって祭礼のあり方・発展して来た経緯も異なれば、名称も異なり、「ヤマ」、「ホコ」、「ダンジリ」など多くの呼称が確認できるとのことであり、大変興味深い。また、元々は鉾の先の飾り物の部分名称が全体名称に発展したものであり、江戸から明治時代にかけての東京において定着して来たとのこと。神が宿る町印に、車がつき、太鼓(囃子)を載せ、曳山化したものが江戸型山車の原型であるとの説明がなされた。
 次の【(2)「囃すもの」と「囃されるもの」】では、近世以降、多様化した都市祭礼の解釈の切り口について語られた。従来、民俗学者・折口信夫氏が『髯籠の話』の中で言及した依代論が定説とされて来た。しかし、それだけでは読み解くことのできない祭礼行事もあり、近年では「囃すもの=囃子」、「囃されるもの=依代」の二つの舞台装置に分けて捉えられるようになって、これまでの疑問が氷解したとのことである。青森の弘前ねぷたまつりを例にとっても、囃されるものとしての行灯と、お囃子が分かれており、これは七夕の疫神送りの風習から発展して来たものと考えられるとのことである。
 最後の【(3)東海地域の「山・鉾・屋台行事」】では、鬼頭氏が長年をかけて収集された貴重な事例写真を数多ご披露いただいた。山車祭りの原点と言われる京都の祇園祭を皮切りに、尾張津島天王祭、知立まつり、犬山祭、亀崎潮干祭など代表的な東海地域の祭りをユニークなエピソードを交えながら次々と紹介された。今回、ユネスコ世界無形文化遺産に登録された33件のうち東海三県だけで11件と全体の1/3を占めており、特にダシ祭礼が多い地域ということがわかる。また、特にからくり人形を用いた祭礼行事が多いのがこの地域の特徴とのこと。中世の稚児芸能から発展し、近世以降、からくり人形を用いた祭礼行事が伊勢湾から富山湾にかけてのエリアで広がっていったとの見解を示された。
 長時間に渡り、緻密なフィールドワークに基づく貴重な体験からご講演いただいた鬼頭氏にこの場を借りて改めて謝意を表したい。
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